#イベント
「自分のプライドを全部捨てたかった」タリーズジャパン創業者松田公太さんが語る、起業前後の希望と葛藤
タリーズジャパン創業者である松田さんとWEIN Group 代表の溝口が対談。参加者は起業家の卵たち。起業を考えるすべての人に伝えたい、起業前後の貴重かつリアルな話が盛りだくさんのイベントとなりました。
ー異国の地での原体験
ーきっかけはポール君とお父さん
ー花形の銀行員から独立開業
ー執着心と大いなる勘違い
<成功した起業家の原体験>
溝口:幼少期はどんな人柄でしたか?松田さんはパーフェクトすぎて遠い存在なので、親近感あるエピソードをお伺いしたく。
松田:5歳の時に父の仕事の関係でセネガルに行きました。父が魚介類を扱う会社に勤めていたので。セネガルは当時まだそんなに漁業が発達していませんでした。
父とよく海に行っていたんですが、ある日、「黒い物体があるから拾ってこい」と言われて。それがウニだったんですね。
「日本にいたら高級だから」と無理やりスプーンを押し込んできたんです。これほど美味しいものはないな、とその時思いました。
そんな感じでアフリカに5年住んでました。楽しいことはそんなに多くはなかったですが、日本は遠すぎて1度も帰れず、やっと帰ることが決まった時はすごくワクワクしました。
帰国してから10か月、日本で生活したんです。日本では小学校4年生に転入しました。初日に先生が「なんとアフリカに住んでたんですよ!」とクラスメートに紹介したのですが、その日の帰り道に、早速いじめっこが「アフリカ人だ!」っていじめてきたんです。アフリカに戻りたいなと思いましたね。
溝口:苦闘、葛藤する経験という自分と内観する期間が長い人、つまりセルフアウェアネス(自己認識能力)が高い人はみんないじめられているなと最近思うんです。
松田:その後、アメリカへ行ったんです。ただ、当時のアメリカはJapan as No.1の時代で、”日本はどこかずるいことしている”と変な目で見られていて日本人には逆境の時代でした。もちろん、刺身や寿司などの食文化も全く受け入れられていませんでした。
でも、もしアメリカの皆んなも日本のお寿司を美味しく食べてくれたら嬉しいなって思ったんです。だから、中学生の時にチェーン店のお寿司屋を作ろうと思いました。
キッカケは、元々母親が宮城県出身で、回転寿司の元祖である元禄寿司がありました。もしやるなら、回転寿司だったら面白いなと思ったんです。
<起業という生き方を知る>
溝口:起業したい人が1万人いたら、実際行動するのは100人ぐらいだと思うんですよね。
松田:当時は起業という言葉を知りませんでした。お寿司屋さんやりたいなと思っていて、高校の時に父に話したら、「自分で作るしかないよ」と言われたんですね。
当時ポール君という友達がいまして。その父親がセンチュリー21で働いていたんです。ある日突然会社を辞めたので、なんか悪いことしたのかな?クビになったのかな?と思っていたら、ポール君の家に行くたびに内装が変わったり、プールができたり、リゾート地に別荘も買ったり。父親が自分で不動産会社を立ち上げたそうなんですね。”そういう生き方があるのか”と知りました。
その後、全部1人でやっているし起業したほうがいいのでは?と自分の父に薦めたんです。しかし、「そんなこと考えられない。定年まで勤める」と断られました。
その後僕も社会人になり、銀行を辞めてから1年。地道な訪問販売など色々な事業をしていました。27歳ぐらいの時ですね。
溝口:自分のプライドを殺す。起業家の強さですね。
松田:とにかく自分のプライドを全部捨てたかったんです。銀行時代は成績が良く頭取賞を受賞しました。しかし、所詮は銀行の看板。松田という人間でモノを売れるのかということは考えていました。
当時は銀行員の名刺を持っていけば、誰でも会うことができましたからね。
<そしてタリーズジャパン創業へ>
溝口:そこからタリーズの創業へと繋がるのですね。最初はいくらお金を集めましたか
松田:私の頃と今ではやり方は違うと思いますが、当時はベンチャーや直接金融が無かった時代です。「500万貸すから生命保険入ってくれ」と言われるぐらいVCも慎重だった頃でした。それが28歳の時ですね。
1号店を立ち上げた時は7,000万円借金を抱えていました。その半分は国民金融公庫です。その時は元行員への融資はNGというルールがあり、勤めていた会社からは借りられませんでした。
ある日、どの行員がいいかなと1時間お店で見ていました。すると、1人笑顔でしゃべっている人がいたんですね。気になってその人に話をしに行きました。
溝口:面白いですね。まずは、周りの人にお金貸してくださいと言えるか。そして、実際にいくら貸してもらえるか。少なくとも500万円借りられるぐらいの信頼残高を貯められるどうかがは大事だと考えています。
松田:当時タリーズUSAは5店舗ぐらいしかありませんでしたしね。広尾の商店街に物件がありずっと空き地でした。手付金300万円だと言われ支払ったのですが、その翌々日に銀座に物件がでて、そちらに決めました。
当時、農家をしている祖母から300万借りていましたが、広尾をキャンセルした時に、不動産業者に100万だけでも手付金を払ってくださいと言われて結局払うことになりました。祖母から借りたお金を無駄にしてしまったんです。経営者としての大失敗ですよね。その時は”軽く考えてしまったな”と深く反省しました。
カフェをやりたいけど、どう始めたらいいか分からない。でも、やれることはやろうと思いました。開店したいエリアで人通りをチェックして、昼間は道ばたで正ちゃんマークをつけて人数をカウントし、8時になるとコレットという喫茶店へ移動して、コーヒー1杯で夜までずっといて人通りを観察したりしてました。
ある日、気になっていた物件のオーナーらしき人を見つけました。物件の前にある自販機にタバコを補充している人でした。
最初に「ここでコーヒーショップやりたい」と伝え、オーナーが淹れてくれるネルドリップ方式のコーヒー飲みながら、「スペシャリティコーヒーをやりたいです。」と熱く語りました。すると、熱意を感じ取ってくださり、OKしてくれたんです。
溝口:そこからタリーズが始まっていくのですね。
幼少期のセネガルでの経験、当たり前を当たり前にしないこと、常に心の揺れに向き合ってきた人生ですね。当時は起業にインクルーシブでない時代だったので、家族や祖母から3,500万借りて、信頼関係を積み上げてきた執着心は素晴らしいです。
<起業家としての心構えー執着心と大いなる勘違い>
松田:執着心と大いなる勘違いですね。これは自分にしかできない、自分だから育てられるという勘違いをもつことで、色んなことが怖くなくなりました。
これはある意味、自分が絶対なんとかしてやるぞ、という執着心でもあります。自分もスペシャリティと出会って、”美味い、これなら毎日飲みたい”と同時に、”日本でこれを広められるのは自分しかいない”と思ったんですよね。
情熱があれば人も集まって来ますし、いつの間にかビジネスも広まってくると実感しました。
溝口:行動、目的ではなく、どんな意味を持っているのかという意味レベルまで考えられるか。執着の背景には意味レベルがあると思います。
本日は貴重なお時間、ありがとうございました。
最後に
「自分がやるしかない」
とてつもない使命感と固定観念を打破する行動力。
起業にはもちろんアイデアや資金が大事であるが、それだけでは人は動かない。
ありたい姿を明確にもち、その実現に向けて迷わず行動していく。
何者かである必要はなく、むしろ何もない人間ほど腹を括って決断できるのかもしれない。
本記事を読んだ人が、自分の実現したい未来に向けてスイッチを押すきっかけになればこれほどまでに嬉しいことはない。
著者プロフィール
真本大生(まもとだいき)
リクルート、パラドックス、サイバーエージェントを経て個人事業主として独立。現在は、アーティストとして直筆コピーライター「字を生きる人」、マーケティング支援、新規事業開発、散歩学研究家として活動中。「すべての人が志をもって未来世代により良い地球を残す主体者になる」が実現したいビジョン。自分のワクワクと社会貢献性を軸に、職種や領域を越境することが得意。